2010年4月28日水曜日

留学生歓迎会をのぞいてきました

ゴールデンウィーク目前ですね~。
本学は「折りづるひろば」でフラワーフェスティバルに参加します!3日の折り鶴みこしパレードへの参加をはじめ、「広場」テントでは来場者の方々と折り鶴を折り、5日の「原爆の子の像建立記念日」には千羽鶴にして献納する予定です。たくさんのご来場をお待ちしています!
未だ寒暖の激しさに右往左往する日が続いていますが、連休はどうだろう…寒いFFはきっと辛い…。

さて本日午後、国際交流クラブJazz☆Bossanoの留学生歓迎会がありましたので覗いてきました。
ジャズボさんは留学生と日本人学生の交流を目的としたクラブで、年に何度か交流会を催しています。今日は歓迎会ということで、まず参加者同士がお互いの共通点を探し出すゲームから。初対面でもどんどん知り合いになれていい企画ですね~。



話をした人数と共通点を見つけた数の両方を競うのですが、最初の人と話が盛り上がってなかなか人数が増えない人もいましたね。でも皆さん笑顔でした。



3位までの学生にはお菓子の賞品あり。3位はジャンケンになりましたが今年入学した留学生のHさんがいただきました。



ジャズボの今学期初の行事はとてもいい雰囲気でした。部長のTさん(生活3年)をはじめジャズボの皆さんありがとう!

2010年4月22日木曜日

木曜日チャペル「留学で成長した私」

ようやく暖かくなるかと思えば、今日は激しい雨とともに肌寒さが戻ってきましたね…。
さて今日は木曜日。チャペルの日です。今日のお話は英文4年の中国人留学生徐暁萍さんでした。



チャペルが始まる前にアジア圏の留学生を集めて簡単に交流会を行いました。国際交流サークルの学生たちも参加し、月末に企画している新入生歓迎会の紹介をしていました。短い時間でしたが顔見せくらいにはなったかと。



さて徐さんのお話は「留学で成長した私」。上海の大学を卒業し、親戚の薦めで日本へ留学した徐さん。日本語学校での1年間を経て本学英文3年に編入し、困難を乗り越えた経験を話してくれました。





徐さんからスピーチの全文をもらいましたのでぜひご一読ください。


「留学で成長した私」



皆さん、こんにちは。私は徐暁萍と申します。「じょぎょうへい」という発音は日本語の発音で私の名前を言います。実は中国語で私の名前の発音は「シュウショウピン」と言います。私の趣味は音楽を聴くことと映画を見ることです。スポーツも大好きです。現在英米言語文化学科の言語専攻4年生です。

3年前、中国でまだ普通の大学生だった私は、その時留学するなんて思ってもいなかったです。ある日、日本で暮らしている叔父さんがお盆休みの時に上海に帰りました。そして、私の家に遊びに来た叔父さんに大学を卒業したらどうするの?日本へ留学に行かないかと聞かれたのがきっかけでした。私にとっては、海外留学というのは未知の世界であり、憧れでもありました。それに、一人っ子の私は、いつまでも両親の元にいると自立することができない気がするので、留学は自分にとっても成長する大きなチャンスだと思い、異国でどんな成長が出来るか、チャレンジしたい、日本へ行くことを決めました。ちょうど親戚の叔父さんは広島で暮らし、就職しています。だから私は2008年に広島に来て、留学の生活を始めました。

私は日本に来る前に中国で簡単な日本語のあいうえお50音図から、簡単な単語と言葉、例えば、「こんにちは」、「おはようございます」、「はじめまして」、「こんばんは」、「さようなら」などを勉強しました。やっぱり最初日本来た時、日本語はまだまだなので、YMCAビジネス専門学校の日本語コースで1年間日本語を勉強しました。そして、去年広島女学院大学の編入試験を受けて、合格した、2009年の四月から英文編入の3年生として大学の勉強を始めました。私は中国で小学校から大学まで、一回も女子の学校で勉強をすることがありませんでした。私の故郷は女子の学校が少ないです。というより珍しいです。小学校はなし、女子の中学校は一つしかありません、そして大学もありません。でも、広島に来て、いろいろな女子大学を耳にしました。女学院大学を選んだ理由は広島で最初に英語を教え始めた女子大学、伝統と実績のある大学だったからです。この歴史を感じる、そして美しいキャンパスで勉強を続け、自分を磨きたいと思いました。

最初来た時やはり全てが新鮮なので、わくわくの毎日でしたが、その興奮が次第にストレスへ変わりました。全く知らない世界の上に、物価が高く、学費を貯める為に、アルバイトもしなければなりませんでした。最初あるラーメン店でアルバイトを始めたが、アルバイトをした半年後、運悪く百年一度の金融危機に遭いました、ラーメン店もつぶれました。そして、新しいアルバイトを探すためにいろいろな店に電話をかけて、全部だめになりました。留学生にとってアルバイトを探すことが難しい、そして、まだまだ流暢とはいえない私の日本語が一番の壁でした。その時はホームシックになりました、さらに国へ帰りたいと思ったが、その後、友達が紹介してくれて、ファストフード「マクドナルド本通り店」でアルバイトを始めました。あの店は広島の中心なので、多分一番忙しいと思いました。ファストフードの店、商品をおいしく出す上でスピードが一番です。最初は右も左も分からないのに、いきなりハンバーグを作る仕事を与えられ、いっぱい焼けとしました。フライドポテトを作るには全然間に合わなかったです。今でも、あの時の傷痕が残っています。この傷跡は多分消えないと思いました。アルバイトは大変でしたので何度もやめてしまおうと考えました。しかし、生活がかかっているので歯を食いしばって続けてきました。

専門学校で一年間の日本語を勉強しました。クラスの中には中国人だけじゃなくて韓国人、ベトナム人もいるので、沢山友達が出来ました。学校のスポーツ大会、見学活動、クリスマスパーティなど、いろいろなイベントがあったので一年間は本当に早く過ぎました。
専門学校の卒業式のあった3月が終わってから4月には女学院大学の入学式に参加しました。日本の学校や、会社などはほとんど全部4月からスタートです。これは春を一年の季節の始まりと考えることが理由かなと私は考えしました。中国の学校はほとんど九月からスタートして授業を始めます。社会人は時期とかあまり関係なく、いつからでも働くことができます。入社式とかもないです。

去年から大学の授業が始まりました、最初の時は全然分からなかったです。ただ、この授業はどこの教室かぐらいかは分かります。他は、授業も自分で好きな科目を選ぶことができます。卒業まで卒論を出して、124単位を取れば順調に卒業ができます。このルールは中国の大学と全然違います。中国の大学の授業はもちろん卒論をだして、単位を全部取ったら卒業をできます。しかし、自分の専門の学科を越えては授業を受ける事ができず、同じ学科の中で小人数にクラス編成され、自分の専門の授業しか勉強できません。

日本の休日は中国より多いと思いました。大学生は年3回の休み、夏休みは一ヵ月半、冬休みは二週間ぐらい、春休みはもっと長かった気がしました。その上、学校の創立記念日やカレンダーで書いた赤の祝日なども全部休みでした。一年の間本当にちゃんと授業を受け勉強する時間はほぼ半年ぐらいしかありませんでした。中国の大学は年二回の休み、夏休みは二ヶ月、七月1日から8月31日までです。冬休みは大体二週間、正月の前後ぐらいです。そして、中国の大学の授業評価は最後までほとんど全部定期試験、日本の学校は先生によって試験の内容も違います。時々レポートで単位をもらえました。初めて聞いた時、本当にびっくりしました。中国ではレポートで単位をもらえるということはありません。この違いから見ると日本人はレポート大好きですか?

皆さん、あなたはある日自分が海外へ行って違う国で暮らすことになると、生活がどのようになるかについて、考えたことはありますか?
私の留学生活は言葉の勉強からスタートしました、その後大学進学についても悩みながら、アルバイトする日々を送りました。理想と残酷な現実のギャップを痛感しました。高い学費を払い、独立生活をするために、学校の勉強をしながら、アルバイトをしていました。何とか両立できました。留学とは言葉や知識の勉強だけではなくて、人としてこの社会に対する態度の勉強もしなければなりません。そして、考えも広がりました。一人前になるように努力して、頑張っています。人生の旅として、本当にたくさん得ることができて、貴重な経験になりました。自分自身の視野も広がりました、きっと成長したと思います。

中国で両親に溺愛されていた私は、留学の間、家の掃除、洗濯、料理まで、全部を自分でやらなければなりませんでした。最初は下手だったが、両親に電話を掛けて、いろいろな話を聞いた後自分が実際でやりました。私は、両親の元を離れて、一人でさびしさも、つらさも乗り越えて、学校とアルバイトを両立できるように頑張りました。私は心身ともに成長したと思います。今の私はもう子供ではありませんし、留学することも自分で選んだ道です。両親の元を離れ、これ以上両親に迷惑をかけたくありませんでした。やはり、努力の結果は人を裏切らない、徐々に上手になりました。世の中にできないことはありません、ただ心がけ次第と思いました。

さらに、去年から今まで、毎週の土曜日は「アジア人材資金構想」留学生育成事業プログラムの授業が勉強しています。この授業はつまり、留学生日本で就職支援といった授業です。さらに、去年の夏休みは日本の企業で5日間のインターンシップをしました。本当に勉強になりました。社員のみなさんが責任を持って一生懸命頑張って仕事をする姿はとっても印象に残りました。
丸二年間の留学生活に対しての苦労や幸せ、多くのことを体験することができました。今年は来日して三年目にはいります、大学も最終年度の勉強になります。私は卒業後の進路については、出来れば日本で就職したいと思いています。今まで留学体験で分かった自分に足りないところを、これからの留学生活で克服するように頑張りたいと思います。これからの道のりはまだまだ長いが、努力したら、いつかは収穫の季節を迎えることができると信じています。

今日はここで私の話を終わりたいと思います。ご清聴、ありがとうございました。

2010年4月20日火曜日

中国青海省地震救援募金

本学宗教センターでは、中国青海省・玉樹チベット族自治州で発生した地震による被災者を救援する募金を行っています。
本日お昼に行われたキリスト教の時間に講堂ロビーでおこなった募金では、中国、韓国からの留学生も呼びかけに参加しました。





木曜日チャペルでも受付にて募金箱を設置します。今週は中国人留学生の徐さんがお話を担当するので、学生の皆さんにはそちらにも参加してもらえたら嬉しいです。
その他、募金箱を設置する場所と時間は次の通りです。

ヒノハラホール1階ロビー
4/21、23、26 11時30分~13時(お昼休み)

宗教センター
4/27まで

宗教センターでは中国四川省やハイチでの大震災の際にも募金を行っております。集まった募金の送金先は日本赤十字またはキリスト教系団体を予定しています。
少しでも被災地の皆さんのお役に立てればと願っています。

2010年4月15日木曜日

韓国生活

淑明女子大学校に交換留学中のAさんから近況が届きました。ソウルの桜と合わせてどうぞ♪

韓国にきてもうすぐ2カ月がたちます。韓国でも桜が咲きました!韓国での生活はとても楽しく、またあっという間に時間が過ぎた気もします。韓国の友達と交流したり、留学生と話すこともあります。
授業のほうは、韓国語の授業と英語の授業をとっています。英語の授業はやはり大変ですがとてもいい経験だと思うし、力にもなるのではないかと思います。
友達もみんな親切で優しくとても楽しく過ごすことができています。留学ができて、貴重な経験ができることに感謝しながら、一緒に韓国にきた友達ともお互いに良い留学になるように、積極的にみんなとはなして、していきたいと思っています。夏休みはYBMという語学堂に通おうと思っています。
この前梨花大学にいる友達の所にあそびにいったのですが、さすが世界一の規模の大学だけあってホントに大きい大学でした!トトロハウスという日韓の交流の場にもいってみました!友達もできてよかったです。

学校の桜です^^


夏休みまであと2か月。精一杯頑張ろうと思います!

2010年4月14日水曜日

木曜日チャペル全文

先週木曜日のチャペルで英語アシスタントのアレクセスさんが「旅」をテーマにお話ししましたが、その原稿全文をいただいてきましたので転載します。
木曜日チャペルではだいたい15分程度お話をする時間があります。アレクセスさんはまず英語で原稿を書き、友人の松本さんに日本語に訳してもらいました。その上で、持ち時間に合うよう、部分的に削ったり言葉を話しやすい言葉に直したりして、当日のスピーチが完成しました。
##ちなみに翻訳を担当した松本さんは昨年度の英米言語文化学科卒業生で、今年8月からアレクセスさんの母校、パシフィック大学で日本語アシスタントを担当することになっています。

ここでは、元の原稿と松本さんの日本語訳を交互に掲載させてもらっています。少し長いのですが、チャペルでは語りきれなかった内容もたくさんありますのでじっくり楽しんでください。

「かわいい子には旅をさせよ」: My Thoughts on Naivety and Travel
Written in English by Alexis Candelaria
Translated into Japanese by Matsumoto Azusa


Hello, it’s nice to see you all here today. My name is Alexis Candelaria, and I’m the assistant English teacher here at Hiroshima Jogakuin for this semester. I’m 26 and I’m from America. I would like to thank everyone for giving me the chance to speak at this meeting. My topic for this speech is travel. It’s a subject I think most of us enjoy – in fact, the two things I see on television the most in Japan are travel shows and food shows, or frequently shows that soliloquize about both delights at once. Travel can be really fun, of course, which is why most people like to do it and like to talk about doing it. But today instead of just discussing how fun taking trips is, I’d like to reflect a little on how it can actually be good for a person’s mind and heart too. It’s kind of ironic that I didn’t have much time to practice this speech because my mother was here in Hiroshima sightseeing with me for more than a month, but anyway… I hope you can enjoy what I have to say.

こんにちは、皆さん。 本日はお越しくださりありがとうございます。 アメリカから来た、アレクセス・カンダラリア、26歳です。 今学年、私は広島女学院の英語のアシスタント教師をしています。 今回ここでお話しする機会をあたえてくださったことに感謝します。 このスピーチの主題は「旅行」です。 多分、多くの人がこのトピックが好きだと思います。 実際に、日本のテレビ番組の一番人気があるテーマは「食べ物」や「旅行」か、その どっちもである「グルメ旅行」かもしれません。 もちろん旅行は楽しいイベントなので人々は話題にしたり、実際にどこか に行きたいと思うでしょう。 でも、今日の話では、いかに旅行が楽しいか だけでなく旅行が心と精神に与える すばらしい影響について考えたいと思います。 残念なことに、私のお母さんが一ヶ月以上に 広島に観光に来ていたので このスピーチの練習があまりできなっかたのですが、とにかくも、どうぞよろしくおねがいします。

In case some of you didn’t know this, I’m from Alaska, which is a state that’s pretty far away from everything else. My hometown is on an island surrounded by miles of forests and mountains. It’s a beautiful fishing village next to the ocean, peaceful and friendly, and I still love it very much even now. But, in order to do just about anything there other than go to school and go grocery shopping, you actually have to leave and take a boat or plane to somewhere else. In Sitka – that’s the name of my hometown – we talk about certain people who go a little crazy from boredom when they have to stay on “The Rock” for too long. My parents were those type of people. Especially my mother gets bored easily. And so, largely because of these circumstances, even though I’m still young I’ve traveled quite a bit in my life so far.

ご存知ない方もいるかもしれませんが、私のふるさとはアメリカの一番北、一番遠い州、アラスカにあります。島の中の、浜のすぐそばで森と山に囲まれた町です。 きれいで、平和で、人も親しい海の側の漁村で、私は今でも大好きです。しかし実は、学校や食べ物ほか日常生活用品を買う以外のためには、飛行機や船で島を出かけないといけません。シトカでは、(私の生まれた町の名前ですが、)村民達の中に退屈な島暮らしに飽き飽きする人達もいて、時々そうした人達についても話します。 私の両親、特にお母さんは、そのような人です。そうしたこともあって、私は若いうちからかなりたくさん旅行してきました。

I’ve been all over my home state, up and down both coasts of the United States, to several countries in Europe, and I’ve also traveled extensively within Japan. Many of these journeys were not just a few days of touring, but for months at a time – I would live with relatives in California or Oregon during my summer vacations, spend a few weeks with my dad whenever I could after he moved away, take a trip with my mom when she had to leave our town for special job training. I’ve lived abroad in Japan for almost two years total now, too. Travel has taught me so much that I’ve often thought that going to new places has fundamentally made me the person who I am today. So when I heard a certain proverb during this latest trip to Japan, it really moved me and made me reflect on how travel changes people.

アラスカ州のほとんどの町や、アメリカの西海岸と東海岸の上から下まで、それとヨーロッパの国も数カ国に行ったことがあります。 もちろん日本の中でもかなり多くの場所へ旅行をしました。 その旅はよくある数日くらいのツアーではなくて、むしろ一ヶ月か二ヶ月かの「暮らし旅」でした。 夏休みにカリフォニア州とオレゴン州の親族と泊まりました。時間があれば、家から引っ越したお父さんと会いましたし、仕事の特別研修のために島から出たお母さんと一緒に行きたりもしました。 さらに、合計で二年間ぐらい日本での海外居住を経験しています。 旅行から教えられることがあまりに多くあるので、今の私はこれらの旅のおかげで形作られていると言ってもいいほどだと感じています。 そうしたわけで、近頃日本に来た際にとある格言を聞き、おおいに感動しました。 それは私に、旅行がいかに人々を変え得るかを実感させてくれました。

「かわいい子には旅をさせよ」
“Kawaii ko ni ha tabi wo saseyo”

I’m sure many of you have heard this kotowaza before, but it was new to me a couple of months ago. I’ve been told that the meaning of this sentence is, “If your child is naive, you should send them on a trip alone so they can experience how tough the world really is.” It’s a charge to be independent… or at least that’s what my electronic dictionary’s list of proverbs says. But when I first heard this phrase, I got a number of distinct impressions about its meaning, and even now I think you can interpret this piece of good advice a couple of different ways.

ほとんどの人はこのことわざを聞いたことがあるでしょう。 私はこれを数ヶ月前に始めて知りました。 このことわざの意味は、「もしあなたの子がか弱ければ、その子に一人で旅をさせるべきだ。 そうすれば、世界の厳しさがわかる」と、そう聞きました。 これは、自立することの大切さを説いています。少なくとも、私の電子辞書はそう言っています。 でも、初めてこれを聞いた時は、その意味についていくつかそれぞれ異なった印象を覚えました。 そして今も、この格言は何通りにでも解釈できると思っています。

The first way to look at it has to do with how you feel about yourself and your own abilities. I agree with the kotowaza’s originally intended meaning, the theory that solo travel inherently makes one more self-reliant. Becoming independent is an internal change, a shift in attitude from the inside → out. Trips are just rough sometimes, and the hardships quickly teach you that you’re capable of much more as an individual than you originally thought. When it’s 1 AM, your bag is too heavy, the taxi took the last of your cash, you’re soaking wet from the rain, and you’ve forgotten your cellphone and house keys on the plane – all of which happened to me once on a trip home from Washington DC – standing outside your locked apartment in the dark makes you realize very clearly that you have only two options. Either you have to find some way to deal with the situation yourself, bad as it is, or you have to sit down and just die. Sounds melodramatic, but it’s the truth; you really don’t have any other alternatives. And since death is never preferable, facing such scenes while on the road makes you very resourceful, very quickly. In my case, even though I was terrified of inconveniencing potentially angry strangers, I knocked on the doors and windows of my neighbors until I woke someone up whose phone I could use to call the apartment manager. Ever since then, I’ve never been afraid of asking someone I don’t know for help when I really feel like I need it.

まず第一の解釈として、自分自身と自分の能力についての自覚が挙げられます。 私はこのことわざ がそもそも意味しよう とすることに賛成です。 一人旅をすることで、人はより自立できるようになります。 自立とは、内面の変化です。内側から外側へと態度をシフトして行くことです。 旅は時につらく厳しいものですが、その苦労が自分の知らなかった自分自身の可能性に気づかせてくれることもあるのです。 これは私自身の経験ですが、午前1時に、重い荷物を抱え、最後の現金もタクシー代に消え、雨に濡れて、携帯と家の鍵も飛行機の中に忘れた時、鍵のかかったアパートの前で暗闇の中立ち尽くしながら、自分にはたった2つだけ選択肢があると明確に気づきました。 この状況を自分で何とか する方法を見つけるか、もしくはただ座り込んで死を待つかです。 メロドラマチックに聞こえるかもしれませんが、これは真実です。 それ以外に選択肢はないのです。 死はあまりいいアイデアとは思えませんので、路上でこの状況におかれた場合、突然にも臨機応変になるしかありません。 私の場合は、不幸な隣人達を憤慨させることになることを心配しつつも、ドアや窓をノックし、誰か起こして電話を借り、アパートの管理人に電話をかけようとしました。 その時から、どうしても自らが必要だと感じた時は迷わず人の助けを借りることができるようになりました。

Overcoming such adversities makes you realize what you’re capable of. That story’s a pretty extreme example of wrestling through a travel challenge alone and desperate, but even if absolutely nothing goes wrong while you’re away from home, every time you jump into a new location you’re still faced with difficult situations almost instantly. You have to bank on your own intelligence and abilities to solve those nagging questions like, “Who do I trust to get directions from?” and “How am I going to catch this connecting flight?” and even “Where is the bathroom??” No matter what, thanks to having to take care of your own necessities in a strange land, you build your independence and self-confidence the minute you step onto a foreign street. You’re getting rid of the “kawaii ko” half of the kotowaza: becoming less helpless, more experienced, and more self-reliant. There’s a definite thrill to the experience too, especially when you accomplish something that makes you realize exactly how much you’ve grown. Just last week I ordered a taxi over the phone all by myself in Kabe, which was something I’d never done before in Japan. Of course, when two taxis arrived at once I tried to take the other customer’s and ride in the wrong one, but that was a learning experience of its own… it’s all just an opportunity for personal development.

こうした状況を乗り越えることによって、自分のできる事に気づかされます。 さっきの話は、こうした旅の時に孤独で絶望的な状況と戦う という ことの実例です。 例え旅先で何も困ったことが起こらなくても、ふるさとから離れて異なる地にいる間はそれだけで難しい状況にいるということと変わりがないのです。 自分の知識と能力を総動員してどんな簡単に思える問題でも解決しなければいけません。 誰に道を聞くべきか、航空便にどうやって乗り換えればいいのか、そして、トイレはどこなのか、といったものまでです。 それが何であろうと、それらの必要性を満たすため、異国の地へ降り立った瞬間から自立心と自信が育っていくのです。 ことわざの「かわいい子」から卒業し、より助けを必要としない、経験を積んだ、自立した人になるのです。 この経験はとてもわくわくするものでもあります。 特に何かを成し遂げて、自身の成長に気づいた時などはそうです。 例えば先週可部で、自分で電話を使ってタクシーを呼んだことも、今まで日本で一度もしたことがないことでした。 結局2台のタクシーがやってきて、別の客が呼んだほうに乗ってしまったのですが、それでもとても勉強になる経験でした。 個人的な成長のための貴重な機会です。

The second verity implied by「かわいい子には旅をさせよ」also has to do with shaking out that “kawaii” tendency in yourself, but it is perhaps a less immediately obvious concept. The fact is that travel changes how you think, and what you think, about the world around you. This is an external change: the world acts on you through your experiences, and changes you from the outside → in. Even when the weather is fine, the food is good, and you have a great time somewhere, it’s an unavoidable consequence that you learn things when you go other places. Certainly, you learn from the museums you visit and the historical sights you get to see, but in addition to that sort of plain factual knowledge, there’s another, maybe more valuable type you gain. You begun to form a better perspective on your own place in the world by seeing how others live. As human beings, I mostly believe we have ideas in common: such as the universal “be kind to your neighbor” instruction. But in some places, ‘kindness’ means giving your neighbor privacy, and in other places it’s knowing everything about them and showing up to socialize at all hours of the day or night. These are the kinds of contrasting traditions and lifestyles that visiting a new environment almost forces you to consider.

「かわいい子には旅をさせよ」の中に こめられている2つ目の意味は、自分の中の「かわいい」部分を乗り除くということですが、これは一見してすぐに思い浮かばない かもしれません。 事実として、旅は人の考え方を変え、考える物事を変え、周りの世界について。これは外的な変化です。 世界があなたの経験を通して、あなたを外側から内側へと変えます。 たとえ天気がよくて、食べ物もおいしく、どこかですばらしい時を過ごしていても、どこかへ出かけている時に何かを学ぶということは避けられないものです。 もちろん訪れた博物館や観光地でも学ぶことはあるでしょうが、それらの実際的な知識に加えて、もっと価値のあるものが得られるはずです。 他の人々の生き様を見ることによって、自分自身の環境についてより良い見方を得られるようになります。 人間として、私達は多くの共通点があると信じています。 例えば、隣人に優しく、といった世界的な指標などです。 しかし場所によってはそのやさしさとは、隣人について詮索しないことを意味し、また別の場所では朝から晩まで隣人について全てを知っており、社交することを意味します。 新しい環境で出会うこれらの対比的な伝統や生活様式から、多くのことを考えさせられます。

Let me elaborate a little more on what I’m saying with this bit of anthropological study. To some extent, American culture shapes Americans to see ourselves, the individual “I,” as the center of the universe. When someone with this cultural mindset of, “I was raised to do things right,” is faced with an apparently incomprehensibly different way of living, many people instinctively react with culture shock-laden judgments such as, “well, that’s stupid” or “I wouldn’t ever do things that way.” My mother’s initial refusal to stop walking at Heiwa-odori crossing signals when there were no cars coming – even while suited businessmen and bicycle-pedaling middle school students calmly waited their turn around us – is a tiny example of such thinking. In Sitka, there are hardly any traffic signals to start with, and there are so few cars in such a wide space that there’s no point in waiting for a largely meaningless lightbulb to switch on. However, she did start waiting for the lights here in Hiroshima after I tried to follow her across an intersection, and almost got flattened by a bus turning a blind corner. See, there is a reason why it’s better to wait at intersections when you’re in Japan!

このトピックについて、人類学的な見地からもう少し付け足させてください。 アメリカの文化から、私達は自分達についてある程度、より個人主義的に、I(自分)が世界の中心であるかのように見る傾向があります。 そうした「自分は正しいことをするよう育てられた」と考える文化的 精神を持った人が理解し難いほどの異文化に面した時、多くの人がカルチャーショックを感じ、「馬鹿馬鹿しい」とか「自分ならそんなことはしない」と批判にはしります。 例えば私のお母さんは平和大通りで車が一台も来ていないのに横断歩道で待たないといけないことに不服でした。 スーツを着たビジネスマンや自転車に乗った中学生達が周りで一緒に静かに待っていたとしてもです。 これはこうしたことのひとつの例といえます。 シトカでは信号はほとんどなく、広い道路の中洲で車も少ないから待つ意味はまったくないのです。 しかし広島の交差点で、お母さんを追いかける私が見えない角度からやって来たバスにひかれかけそうになった後は素直に信号を待つようになりました。ほら、日本では交差点で待つほうが得策だという理由がこれです。

By such means does travel make us understand that our own opinions about how things ought to be done are only our own opinions. There’s never only “one right way.” The realization that there’s a difference between “truth” and “The Truth” is something my father often talks about: unlike simple truth (that is, objective facts) “The Truth” (where you think your own ideas ought to be imposed on others because they’re somehow fundamentally better) is frequently the start of arguments, wars, or worse. Everyone has to realize this distinction between the two ideas in order to be a considerate, mature person… although that statement itself is just my opinion, haha… Travel makes the division between the concepts a lot easier to understand, because seeing how others live proves that there are always viable alternatives to what you’ve gotten used to thinking is “The Truth” or the only way to do things.

そのように、旅は私達が持っている物事はこうあるべきだ、という考え方はほんとうに自分達の意見にしかすぎないと分からせてくれます。 唯一の正しい方法などはないのです。 真実と真理の間には違いがある、とお父さんはよく話してくれました。 単純な物事の事実である「真実」とは違って、ある考え方こそが絶対であり他に勝る理(ことわり)だと主張する「真理」は度々論争、戦争やより悪いものを生み出します。 全ての人がこの二つの違いに気づき、理性のある成熟した人間となるべきです。もちろんこれは私の主観ですが。 旅することによって、こうした概念の違いはより明確に分かりやすくなります。 なぜなら異なる人々を見ることで、自分のなじみのある「真理」は唯一の方法ではなく、他にも様々な代替法があるのだと証明してくれるからです。

Especially for an American like me, traveling in Japan is often humbling simply by virtue of its very landscape. Walking through Shijo and Sanjo’s backstreets in Kyoto you quickly run across mere udon shops that are older than your country. Mountain villages in Yamaguchi-ken have gravestones erected for princesses who wrote poetry in opulent silk robes, decades or even centuries before Columbus discovered the continent you were born on. The floors of temples in Shikoku are made with wood from trees so big we’ll probably never see anything like them growing on Earth ever again. Again, traveling allows a person to witness these marvels, and dispels their naive sense of entitlement in favor of provoking deep thought about the world at large. You realize that people have been living their own lives, their own way, for hundreds of years before you came along, and they will certainly continue to do so after you’re gone, too. Discovering that reality firsthand can’t fail to demonstrate one’s small place in the universal scheme of things: you’re only one person in the billions that have come before.

私のようなアメリカ人にとっては、日本を旅する間はその風景を見るだけでも慎ましやかな気持ちになります。 京都の四条通と三条通を歩くと、母国よりも古くからあるうどん屋に出くわします。 山口県の山村にはコロンブスが私達の生まれた大陸を発見する何十年も何百年も前に豪華な絹の衣に身を包み詩を書いた姫達の墓石があります。 四国にある寺の床はとある巨木から作られており、同じ物はもう二度とこの地球上では見られないであろうといわれています。 繰り返しますが、旅は人に驚異を与えてくれ、傲慢さを暴き世界の大きさについて深い考えをめぐらす刺激となるのです。 人々はそれぞれの人生を歩み、それぞれの方法で、あなたが来る前から何百年もそうして生きており、あなたが去った後もまたそうして暮らし続けるでしょう。 この事実を発見することで、世界における自分の存在の小ささに気づかないではいられません。 私達は今までに存在した何十億のうちのひとりでしかないのです。

On the other hand, Hiroshima’s historic buildings make their significance felt mainly via their heartbreaking absence, rather than their presence. Merely coming here and becoming aware of what’s missing or been repaired forces any responsible individual to contemplate how they can act on their own small scale, in order to prevent such a tragedy from occurring again. What happened here was the result of small individuals’ decisions, too – so even being only one person doesn’t mean you can’t have enormous impact, whether that impact is for good or for bad. Perhaps this is the kind of “life lesson” we touch on in school, or get from our parents at home. But actually standing next to a monument like the Atomic Bomb Dome drives home the urgent necessity of empathizing and cooperating with our fellow human beings, imprinting it upon our hearts in a way that simple words cannot. Seeing something for yourself makes an impact far beyond just hearing about it. That sense of deep, genuine response we get from going on a trip and personally arriving somewhere is perhaps the secret of travel’s allure, as well as its most valuable benefit.

一方で、広島の歴史的建造物はその存在から というよりも、その心痛むほどの欠如からその意義・重要性が感じられます。 広島に来て何が失われ、何が最建築されたのかを知ることで、あのような悲劇が二度と起こらないためにできることについて、それぞれ個人の責任が浮き彫りにされます。 ここでかつて起こったことは少数の個人が選択した結果でした。 ですから、それが良きにしろ悪きにしろ、一個人の決定が多大な影響を与えることはあるのです。 おそらくこれは学校や家で両親から学ぶ人生の教訓の一種でしょう。 しかし原爆ドームという歴史的な建造物の横に実際に立てば、人類全体が協力する早急な必然性を 感じざるを得ません。 これは言葉では表せない、心の中に刻まれる生の感情です。 実際に自分で何かを見るという経験は、ただ聴くだけでは分からない大変な印象を心にもたせます。 このような、旅に出て実際にその地を訪れることで得られる深い真摯な感情が、おそらく旅の秘密の誘惑の正体であり、最も価値のある成果なのではないでしょうか。

There’s one last sense I get from「かわいい子には旅をさせよ」and my own life of travel. I’ve tried to explain how I see travel as stripping away the “kawaii” and giving the traveler a clearer awareness of both themselves and the world around them. But ultimately, the proverb seems both right and wrong on the count of dispelling naivety entirely: while I argue that travel an essential ingredient to being a balanced and intelligent person, you could almost say that such experiences make one feel more naïve, rather than less. Going many places and seeing many sights, trying to reconcile the logic of the pieces of the globe you’ve been privileged to see, you realize how much more you actually still have to learn. Gaining knowledge through travel is like nurturing a branch on a tree: the bigger the limb grows, the further it can reach, spread out, and start new branches. And this kind of tree never stops growing.

「かわいい子には旅をさせよ」のことわざと私の人生における旅から最後に読み取ったものがあります。 これまで、いかに私が旅を「かわいい」状態から成長し、旅人に彼ら自身と世界に対してのより明確な見識を深めるもの として見ているかを説明しました。 しかし突き詰めて考えると、このことわざは、かわいい=か弱い状態から抜け出す過程について正しいとも誤っているとも考えられます。 私は旅が分別のある知的な人間となるために不可欠であると言ってきましたが、その経験は本人にむしろより脆弱性を感じさせるとも言えると思います。 多くの場所に行き 多くのものを見て、今まで培ってきた世界についての法則を再確認するなかで、まだまだ学ぶことは多くあると気づくでしょう。 旅を通して知識を得るということは、樹木の枝を育てることに似ています。 枝が太く育つほど、より遠くへ届き、広がり、また新たな枝を作ることができるのです。 こうして育つ木は決して止まることなく育ち続けます。

What makes me say this? I studied Japan in college, and I’ve visited here four times now – but every time I come, I feel like the more I learn, the less I know. Maybe that sounds unfortunate, but to me it’s a good thing. In my opinion, realizing we don’t know anything is a sign of maturity, of that balance and intelligence as a person I just mentioned… because it’s almost surely true, don’t you think? The Earth is simply too large a place for anyone to assume they have it all worked out. I know I definitely don’t, and I don’t expect to any time soon. I found a new Facebook application while I was getting ready for this speech and made a map on the Internet, with pins standing for each city I’ve been to. When I zoomed in on a small area – like the country of Japan – I felt pretty good: I’ve visited over forty-five towns, cities, villages and ruins from Hokkaido to Okinawa. But when I zoomed out, I realized that all my pins are in small clusters (America, Europe, and Japan) and there’s still 80% of the globe I haven’t even come close to yet. I guess that means there’s still lots of room for my travel knowledge “tree” to stretch out into, haha.

何が私にこういわせるのでしょうか?私は大学で日本について学び、来日も4回しています。 しかし日本に来るたびに、多くを学べば学ぶほど自分の無知に気づかされます。 かわいそうに感じるかもしれませんが、私にとっては すばらしいことです。 私は、無知を 自覚することが、私が先ほど述べた成長して分別のある知的な人間であるためのひとつのしるしであると考えています。 これは本当に正しいと思いますが、どう思いますか? 世界は大きすぎて、誰にもそれを解き明かすことはできません。 私には絶対に無理でしょうし、近いうちに解き明かされるとも思いません。 このスピーチを用意している時に、Facebookというウェブサイトで新しいアプリケーションを見つけました。 それはインターネット上に地図を作り、今まで行ったことのある町にしるしをつけるというものです。 例えば日本などの狭いエリアを拡大してみると、私はとても満足します。 北海道から沖縄まで、これまで45以上の町や村、遺跡を訪ねてきました。 しかし画面を縮小すると、全体を見てみると、しるしはたった小数の国々、アメリカやヨーロッパ、日本などに集中しており、地球の80%ほどは まだ近づいたこともない地域ばかりだと気づきます。 つまりは、私にはまだまだ私の旅の知識の木を伸ばすスペースがあると言うことだと思います。

I’ve spoken quite a bit about the big picture and the deep implications of travel and such during this talk, so let me leave you with a last, smaller, and maybe more personally relevant detail. Since I’ve been at Jogakuin, it’s gotten very easy for me to guess who has traveled outside of Japan – either for study abroad or otherwise – and who hasn’t. Of course if you’ve been somewhere like America or England for studying purposes, your English ability goes up, and that’s part of what I can see. But it’s often simply a matter of being less shy, more broad-minded, and simply more ready to speak of your own opinions and experiences. Those who have gone and come back are “more comfortable in their own skins,” as the idiom goes; they have a wonderful aura of self-assurance and adulthood. To me it’s often very obvious just when I talk with you. So I want to strongly encourage you to travel, especially to go abroad, at least once for an extended period. Prepare yourself, and then go someplace that’s a little bit scary, a little bit outside the realm of your previous experience. Honestly, I think this should be a requirement for everyone in the world. Maybe we’d all be a bit better at understanding one another if we were just forced to get some practice once in a while.

これまで大きい規模で旅の深い意義などについて語ってきましたが、最後に、もう少し小さく具体的な、そしておそらくは個人的なことについてお話しします。 女学院にやってきてから、海外に行ったことのある人とそうでない人を見極めるのがとてもうまくなりました。 それが留学であろうと、旅行であろうとかかわらずです。 もちろんもしあなたがアメリカもしくはイギリスへ留学に行ったことがあれば、英語力はあがるはずですから、その場合はとてもわかりやすいです。 しかし大抵は、恥ずかしがり屋で はなく、広い視野を持っていて、自分の意見や経験を話したりすることに戸惑いがありません。 そうして海外に行って帰ってきた人々は、自分の個性を認めてい ます。 自尊心と成熟した雰囲気をまとっています。 これはただ話しただけでも、すぐに気付きます。 だから私はみなさんに、将来一度でもいいので旅に、できれば外国へ行くことをおすすめします。 覚悟をして、どこか少し怖いところへ、今まで経験したことのある範疇の外へ冒険するのです。 正直に言って、私はこれを 世界のすべての人に対する絶対条件にするべきだと思っています。 少しでもそうした経験をすることが、人々の相互理解の一助となるでしょう。

Anyway, I’m really happy I got the chance to speak with you today. It’s the first speech I’ve ever done in Japanese! I like to think that I’m still cute – as in, adorable – and I hope this “cute child” can continue to go on “journeys” so she can see what else she can learn in the future. Thank you for listening!

ともかくも、本日はこうして話をする機会を得たことをとてもうれしく思います。 日本語でスピーチをしたのは実はこれが初めてです。 私は自分がまだ 「かわいい子」であると考えていたいです。 そして、この「かわいい子」が「旅」を続け、その未来の中で一体何を学ぶことができるのか、探し出せるように 願っています。 ご清聴いただきありがとうございます。


2010年4月8日木曜日

旅とは・・・

今年度最初の木曜日チャペルは、英語アシスタントのアレクセスさんでした。
アメリカの提携校パシフィック大学の卒業生で、昨年後期から本学で英語の授業を中心にアシスタントをしてもらっています。

始まる前に、交換留学生や英文の留学生と、留学生の学生チューターをしてもらっている学生を集めて紹介かたがたミーティングを行いました。今年の新入生のうち留学生は1名、ケニア出身の英文の学生Nさんです。



あまり時間はなかったのですが全員の自己紹介をして、慌ただしくチャペルへ。
今日のオルガン担当は新入生Nさんの学生チューターをやってもらっている英文3年のDさん。特訓を受けたそうですよ。





アレクセスさんのスピーチは「旅が心と精神に与える素晴らしい影響」をテーマに、これまでの旅で得たことや日本に滞在して感じたことなどを中心に、旅が人をどう成長させるかを語ってくれました。新入生には特に刺激的な話だったかもしれませんね。
後日ブログに全文をアップするそうです。またお知らせします!
★追記:アレクセスさんの原稿全文を掲載させてもらいました。英文&日本語訳つきで読み応えありです!
http://hjukokusai.blogspot.com/2010/04/blog-post_14.html




2010年4月5日月曜日

お花見@国際交流センター

いよいよ新学期が始まりました。土曜日は満開の桜の下での入学式。本日は新入生オリエンテーションで、明日から授業が始まります。

国際交流センターでは今日のお昼にこんな風景が。



韓国の提携校から来た交換留学生と、昨年韓国に派遣した本学の学生たち+友人が食材を持ち込んでお花見サンドウィッチ&おむすびパーティをやってました。国際交流センターはのんびり桜が鑑賞できる穴場として密かに人気なのですが、学生の間ではあまり知られていないはず。よく気付きましたねえ。
大人数は無理ですが、小グループでの利用希望があればいつでも相談ください(仕出し屋さんみたいだな…)。